根管治療とは専門的には歯内療法学といい、(根管治療用機械的な根管口の開拡、ラバーダム防湿下でのハンドインスツルメントによる根管形成、エックス線診査、ガッタパーチャポイントによる根管充填)、このような一連のテクニックの総称で、日本では1970年代に普及しました。

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しかし、このすべての考え方とテクニックは、さらにその70~80年以上前、19世紀に確立されたものです。ヨーロッパで根管治療関連製品メーカーとしてジッペラー社が設立されたのが1869年のことです。

19世紀末から様々な感染症の原因菌が次々に明らかになりました。コッホが1882年に結核菌、翌年にコレラの病原菌を発見、同時に顕微鏡によって口腔内に多くの細菌がいることが知られるようになっていきました。口腔内の感染病巣が遠く離れた皮膚に発疹をつくる病巣感染の症例が次々に報告され、1904年にはビリングが、心疾患(細菌性心内膜炎)で死亡した患者の心臓から口腔レンサ球菌を発見して話題になりました。1909年、レセナウは根管治療が遠く離れた臓器に致死的な病気を起こす中心感染説(focal infection)を発表、こうして根管治療罪悪論が広がったのです。

それから40~50年間、米国では歯髄に感染が及んだ場合はすべて抜歯の適応となり、根管治療は極めて少数の歯科医によって細々と続けられていたのです。再び根管治療が米国で復活したのは、1951年に米国歯科医師会が業界紙JADAの特集号で中心感染説の終焉を発表してからです。

しばらくすると日本でも根管治療器具が普及を初め、1960年代からステンレス製のリーマー、Hファイル、そしてKファイルが次々に改良され手用インスツルメント時代になってきました。

そして、今世紀なってから歯科用根管治療機器に革新的なものが出てきました。

根管追従性の高いNiTiファイル(チタン製ファイル)が初めて作られたのが1988年、マイクロモーターで使うNiTiファイルも各社が競って開発した結果、いまでは格段に折れにくいファイルが開発されています。

そして、最近では細菌毒性が低くセメント質様組織を誘導する水硬性セメントMTA(Mineral Trioxide Aggregate)が直接覆髄、穿孔封鎖、逆根管充填などの用途に使われるようになってきました。また、最初に根管治療に手術用顕微鏡を応用した症例が報告されたのが1992年ですが、それから20年以上経ち、今ではマイクロスコープを使ったマイクロエンドは珍しいものではなくなっています。

現在、自由診療でマイクロエンドを行う歯科医のなかでは根管治療のテクニックと器材は大きく変化してきています。ルートキャナルメーター